NEW WAVE.01
KOUHEI
TOYONAGA
小説家豊永 浩平
豊永 浩平
26.09.11
「小説」という手法で、沖縄を捉え直し、まだ見えない未来へ線を引く。
小説家・豊永浩平さんが言葉で紡ぐのは、歴史の大きな流れだけではない。
その時代を生きた一人ひとりの感情や葛藤、そして、現在を生きる若者たちの姿だ。
幼い頃から本に触れ、沖縄の歴史を自転車で巡ることで体感し、大学で文化を学んだ。
現在は、東京を拠点に執筆活動を続けながら、沖縄を舞台にした物語を書き続けている。
豊永さんは、今、そして、これからの沖縄をどう見ているのか。
過去から何を受け取り、未来へ何を手渡そうとしているのか。
創作の原点から、これからの沖縄まで、話を聞いた。
開高健の作品が文学の扉を開けてくれた
――まず、子どもの頃のことを聞かせてください。どんな少年でしたか?
普通の子だったと思います(笑)。小学生の頃は、そんなに本を読んでいたわけではありません。母方の祖父母が浦添市に引っ越してきて、近くにオジーオバーの家があったんです。昔は2階建ての家で、2階の部屋に百科事典があったり、ブラウン管のテレビがあったり。そこでよく遊んでいました。近くに海もあったので、海にはよく連れて行ってもらいました。父親とはサイクリングもしていましたね。
――本格的に本を読むようになったのは?
中学2年生くらいです。クラス編成の待機時間で配られた、しおりみたいな教材に載っていた開高健の『パニック』を読んで、「小説って面白いな」と思いました。それからミステリーなどを中心に読むようになりました。特に記憶に残っているのは、東野圭吾さんの作品ですね。祖父には、よく浦添市立図書館に連れて行ってもらっていました。行くたびに本を借りる。そこでは、夏目漱石の『こころ』を読んだり、筑摩書房の『ちくま日本文学』という文庫全集を読んだり。セレクションが豊富だったので、石川淳や折口信夫、筒井康隆など、いろんな作家を少しずつ知っていきました。海外文学も読むようになって、気がついたら、中学2年生以降は「読書が趣味」みたいになっていました。今思えば、本にかなりお金と時間を使っていたと思います。
マンガから小説へ。書くことで見えてきたもの
――自分でも書いてみようと思ったのはいつ頃ですか?
中学3年生くらいです。最初はマンガを描いていました。好きだったマンガは「ブラック・ジャック」。でも、マンガってストーリーだけではなくて、人物や背景も描かないといけないじゃないですか。特に風景がうまく描けなくて、「これは無理だ」と(笑)。それで文章を書くようになりました。最初の頃によく書いていたのはミステリーです。江戸川乱歩賞みたいなものを意識して、トリックを考えたり。でも、トリックがうまくつくれなくて(笑)。高校の頃から純文学を読むようになって、『群像』などの文芸誌も読むようになりました。大学に入ってから、ようやく小説を一本完成させられるようになった。1作目、2作目は大学2年生の頃に書きました。『月(ちち)ぬ走(は)いや、馬(うんま)ぬ走(は)い』は3作目の作品です。
――そこから作家としての道が始まった。
そうですね。大学時代は、授業がない夏休みや春休みに集中して書いていました。文芸誌の新人賞に応募する時期に合わせて、まとまった時間をつくって書く。モチベーションになったのは、Twitter(現在のX)でつながった作家志望の人たちでした。沖縄にいると、同じように小説を書いている人と出会う機会はそんなに多くない。でも、SNSでは全国の同世代とつながれる。自分では結構本を読んでいると思っていたけど、18歳で年下なのにバルザックの『人間喜劇』を全部読んでいる人に出会ったりする(笑)。そういう人たちがいることが刺激になりました。
歴史を「資料のまま」書かない
――豊永さんの作品では、沖縄の歴史が重要な要素になっています。
琉球大学では琉球アジア文化学科に在籍していて、沖縄の歴史について学びました。小学生の頃から平和学習で学んでもいましたけど、それだけではなく、自転車に乗って戦跡を巡るようなこともしていました。浦添市から南部の方まで行って、いろんな場所を見て回る。そうやって実際の場所を見て感じていくと、歴史が単なる教科書の中の出来事ではなくなっていきました。作品を書く時も、図書館などで資料を調べます。でも、資料に書かれていることをそのまま小説にするだけでは、ノンフィクションやルポを読めばよくなってしまう。当時生きていた人が、どういうことを考えていたのか。そこを想像したいんです。だから、過去のパートだけではなく、現在の人たちの物語も必要になる。過去を描くために現在があり、現在を描くために過去がある。僕の中でその2つはセットなんです。
――「沖縄像を更新する小説を書きたい」とも話されています。
90年代以降の沖縄像って、青いきれいな海があって、観光地があって、優しい人たちがいて、というイメージがあると思います。もちろん、それも沖縄の一部です。でも、それだけではない。特に僕と同世代の若い人たちが、どういう生活をして、何を考えているのか。そこは、これまでの沖縄文学ではあまり描かれてこなかった部分でもあると思う。だから、自分たちの世代を通して沖縄を書いたら、これまでとは違う沖縄像になるんじゃないかと思っています。
沖縄を離れて、見えてきたもの
――現在は東京で暮らしています。沖縄を見る目は変わりましたか?
かなり変わりました。沖縄にいる時には気づかなかったけど、外から見ると、沖縄には「観光地としての沖縄」と「政治的に大変な場所としての沖縄」という、ちょっと違うイメージが同時にある。SNSでも、かなり歪んだ沖縄像が不特定多数に訴える形で流れてくることがあります。だからこそ、まだ沖縄について書きたいと思っています。沖縄を舞台にしたアイデアは、まだまだあります。これからは琉球王国時代のことや、未来の沖縄をSFの視点からも書いてみたい。未来について書く作品は、今までで一番暗くて、シリアスな作品になると思います。
生活のすぐそばに、世界の問題がある
――これからの沖縄に対して、どんな未来を描いていますか?
単純に、もう少し働く人の賃金が上がってほしいというのはあります。それと、米軍基地の問題は避けられないと思っています。沖縄は今も国際政治の前線に直結している場所だから。ただ、基地をなくしてほしいと思う一方で、基地があることで生まれてきた文化や人とのつながりまで、全部否定できるわけではない。その複雑さはあります。だから、何かを全部壊して新しくするというより、いまの沖縄の良さを損なわずに、少しずつ良くしていく。そういう変化がいいと思っています。
――同世代に期待することは?
最近は、普段の生活と世界で起きていることが、実はつながっているということを考えるようになりました。例えば、スターバックスコーヒーやマクドナルドで普通にお金を使う。そのお金が世界のどこかで何に使われているのか、自分では分からないことも多い。気にしなくても生活はできる。でも、違う場所では、その経済活動によって調達された兵器で誰かがつらい思いをしていることもある。自分の好きなことや、自分の生活を大切にするのはもちろん必要です。でも、その生活が実は世界の問題とつながっているかもしれない、ということには、もう少し目を向けていたい。沖縄の歴史についても同じ感覚です。
「ヒーロー」ではなく、一人ひとりが少しずつ
――最後に、沖縄の次の時代をつくるのは、どんな人だと思いますか?
すごく目立つ、ヒーローみたいな人を期待しているわけではないです。むしろ、自分の目の前にあることをちゃんとやっている人。今は「目立つこと」と「収益」がつながりやすい。お金のために、あえて目立つことをする。それが収益にもつながってしまう。そこには少し危うさもあると思っています。だから、一人ひとりが、自分のできることをやりながら、その「できること」の範囲を少しずつ広げていく。「自分の生活のことで精いっぱいだから、政治や社会のことは知らない」ではなくて、自分の生活から少しだけ外側へ目を向けてみる。そういう人が増えていけば、結果的に新しい沖縄になっていくんじゃないかなと思います。沖縄を大切にすることと、沖縄を変えていくことは、たぶん矛盾しない。変わらないものを残しながら、少しずつ新しい線を引いていく。自分にとって、小説を書くことも、その一つなのかもしれません。
PROFILE
豊永 浩平
2003年、沖縄県那覇市生まれ。琉球大学人文社会学部琉球アジア文化学科卒業。2024年、在学中に『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で第67回群像新人文学賞を受賞しデビュー。同作で第46回野間文芸新人賞を受賞。2026年、『はくしむるち』で第39回三島由紀夫賞を沖縄出身作家として初めて受賞。