EPISODE.01
YOKO
GUSHIKEN
プロボクサー・タレント具志堅 用高
具志堅 用高
26.03.03
ボクシングは怖くて、
淋しい。だからこそ、
挑み続けるしかなかった。
引退から40年以上経った今も、カメラの前で見せたシャドーボクシングのキレに驚きました。
ジャブ、ストレート、フック。どう動けばいいか、脳が全部覚えてる。「やれ」と言われたらパッと出る。これはもう一生、死ぬまでできると思いますよ。
現役時代、好きだった言葉は「一生懸命」です。誰も見ていないところでも手を抜かない。トレーナーが見ていようがいまいが、サンドバッグを対戦相手だと思って叩き続ける。才能なんて言葉より、その「真面目さ」が僕の武器だった。
世界王者として13度の防衛。その記録の裏には、どんな思いがあったのでしょうか。
最初はボクシングなんて嫌いだったよ。きついし、早く沖縄に帰りたかった(笑)。でも、チャンピオンになって景色が変わった。ただ、ベルトを守るのは「孤独」との戦いです。試合前はいつだって怖いし淋しい。その恐怖に勝つ方法は、練習しかないんです。練習すれば自信になる。ピンチになっても体が勝手に動く。
それにね、僕は一人でチャンピオンになったんじゃない。「感謝」なんですよ。
だから世界王者になっても、5度目の防衛戦までは、お世話になったとんかつ屋さんでアルバイトを続けました。大将への恩返しをしたかったし、何よりそこで働くことで、私生活が崩れず、真面目な自分でいられたから。
今回の撮影場所、うるま市具志川総合体育館(旧:具志川市体育館)は、最後の防衛戦が行われた場所です。
この場所についたときに思ったね。「ああ、俺のボクシング人生はここで終わったんだな」って。悔しさもあるけど、「よく最後まで頑張ったな」という気持ちの方が大きいかな。最後が故郷の沖縄でよかった。ボロボロになった体育館を見て、「お前もよく頑張ったな、ありがとう」って声をかけましたよ。
沖縄から世界へ。当時のハングリー精神はどこから来ていたのですか?
僕が生まれた頃の沖縄は、まだアメリカの統治下だったからね。家の中にシャワーもなかった。だから、世界チャンピオンになって「お風呂のある家を建てたい」っていうのが夢だった。ハングリー精神だよね。今の若い子たちには想像できないかもしれないけど、僕は家族のために、そして自分のために必死だった。
今の時代はもっと豊かで、誘惑も多い。大谷翔平選手なんか見てるとすごいよね。あの環境でストイックさを保てるのは本当に尊敬する。僕らの時代はトレーナーに監視されてたけど、彼は自分で自分をコントロールしてるんだから。
次の世代、「未来」をつくる若者たちへ伝えたいことは?
今の沖縄の子たちは明るいよね。ここから、スポーツでも勉強でも、世界一になる人間が出てくると思う。僕の夢? もう自分の夢は叶えました。世界チャンピオンになるという夢をね。だからこれからは、人生を楽しむのが僕の仕事。
若い人たちにはこう言いたいね。「一生懸命、好き勝手にやりなさい」って。ハングリーさは僕らの時代のものかもしれないけど、楽しむ力は君たちの方が持っているはずだから。
MOVIE
PROFILE
具志堅 用高
1955年、沖縄県石垣市生まれ。元プロボクサー。
1974年にプロデビュー。1976年、WBA世界ライトフライ級王座を獲得。以降、13度の連続防衛を達成し、当時の日本記録を樹立。卓越したテクニックと強烈な左フックを武器に、日本ボクシング界の黄金期を築いた。
沖縄出身として初の世界王者となり、その存在は本土復帰後間もない沖縄にとって大きな希望の象徴となる。1981年に引退。
引退後はタレント、スポーツコメンテーターとして活動。独自の存在感とユーモアで幅広い世代に親しまれ続けている。日本ボクシング史において最も成功した王者の一人として評価される。